「第27回ウォーキングの会」(2018年11月10日)

~旧中山道を板橋宿まで歩く

2018年11月10日(土)、晴天の下、総勢14名+途中参加2名、日本橋(起点)から板橋(中山道六十九ある内の最初の宿場)まで、旧中山道約10キロを、約4時間掛けて歩きました。

日本橋については、「にっぽんばし」ではなく「にほんばし」と読むこと、橋柱の「日本橋」という銘板は徳川慶喜が揮毫したこと、親柱の獅子と東京市章、中央柱の翼をつけた麒麟、橋の真ん中に埋め込まれた道路元票、欄干にある焼夷弾跡、魚河岸が築地に移転するまで約300年この地にあったこと、等々の解説は、「初耳」の人も多かったようです。

三越と日本橋に残る老舗(山本海苔・にんべん・木屋など)を通り、昌平橋を渡り神田明神に行き休憩、本郷三丁目では「本郷もかねやすまでは江戸の内」という川柳が残されている「かねやす」を見て東大赤門(元加賀前田家上屋敷)へ。
赤門は御守殿門として建てられ、御守殿とは徳川将軍家から嫁いだ姫君の敬称で、丹塗りだったため赤色という話でした。

その後、東洋大、千石、徳川慶喜巣鴨屋敷跡、巣鴨とげ抜き地蔵、庚申塚で昼食休憩、板橋駅・近藤勇墓所、平尾宿脇本陣跡、板橋宿本陣跡、東光寺(宇喜多秀家墓)、高野長英潜伏地跡、など、歩く折々、吉田幹事から随時説明を受けながら、江戸時代に思いを馳せる一時を過ごすことが出来ました。
またウオーキングとしては、ゆったりとしたペースで進みましたので、高年者・高齢者を中心とした一行でしたが、お陰様で皆さん過労に陥ることもなく、板橋に到着することが出来ました。
最後は、板橋の橋の袂で散会し、各々心地良い疲れを感じながら、無事家路に着かれたことと思います。

今回担当して頂いた吉田幹事と、昼食休憩に当たって格別のご配慮を賜った斉藤ご夫妻に、改めて御礼申しあげます。

参加者

潮銃太郎、鷹嘴愼吾、鷹嘴慧子、藤田治、筑紫恒男、高河原邦彦、高河原啓子、吉田重雄、石原和子、斉藤友一、斉藤孝子、山上郁雄、山上愛子、池田正司、飯田金廣、吉田惠子 以上

記:高河原邦彦(S45・法)