2022年 板橋稲門会の旅行;「伊豆湯ヶ島温泉」

2022年12月15日(木)~12月16日(金)

板橋稲門会では年に一度のペースで親睦の為の旅行を行ってきました。2019年に「彦根・琵琶湖&湖東三山の紅葉を見る旅」を実施、2020年は大隈重信候の生誕地である佐賀旅行を計画しましたが、コロナ禍で中止せざるを得ませんでした。したがって、今回の伊豆旅行は3年ぶりの旅行となりました。12月15日(木)に平日一泊のため、参加者は少なく、鷹觜夫妻、藤田夫妻、朝倉会長と吉田夫婦の7名でした。

12月15日に伊豆湯ヶ島温泉「白壁」に現地集合し一泊の旅行でしたが、鷹觜夫妻は朝倉車に同乗し、14日に湯ケ野温泉「福田屋」(日本秘湯を守る会の宿・川端康成の「伊豆の踊子」の舞台になった宿)に前泊、藤田車は翌16日に土肥温泉に後泊、吉田は「白壁」に連泊~と、夫々2泊3日の伊豆旅行を行いました。

湯ヶ島温泉の「白壁」は私(吉田)が6年間毎年利用している宿で、社長・女将とも親しく、宿泊に際してはいろいろと心配りをしていただきました。すぐ近くにある「湯本館」は川端康成が延べ千日逗留した宿で、「伊豆の踊子」を執筆した場所として有名です。「白壁」の現社長の祖母が「湯本館」出身、また、「白壁」は井上靖の親戚筋に当たります。井上靖の生家や、小説「しろばんば」の舞台となった湯ヶ島小学校は近くにあり、井上靖は里帰りすると「白壁」を定宿として利用し、今でも井上靖が泊まっていた部屋が残されています。また「白壁」は、石川さゆりの「天城越え」が誕生した宿でもあります。作詞家の吉岡治と作曲家の弦哲也とディレクターの桜庭伸幸の3名がここに2泊して作られました。

12月15日の午後3時に全員がチェックインしました。全国旅行割5千円と地域クーポン3千円の手続きを終え、まず全員で「湯道」を散策しました。かつて文人や里人が「湯本館」の並びにある共同浴場「河鹿の湯」に通った道です。狩野川のせせらぎの音を聞き、まだ残っている紅葉を観ながら歩きました。朽ちて廃業した温泉宿の脇を通り、2つの川が合流して狩野川になるところに掛る「男橋」「女橋」は、6月にホタルを観賞する(天城ホタル祭の開催)場所です。

「白壁」に戻り、夫々温泉に・・・、夕食前の温泉は、男性は大浴場、女性は当宿自慢の巨石・巨木の露天風呂です。大浴場の壁面にあるむき出しの岩は、2千年前の海底にあった凝灰岩で、伊豆半島が隆起した時のもので、「ブラタモリ」で紹介されました。巨石露天風呂の巨石は、約30年前の増改築の工事中に掘り出された天城山の溶岩の一部とみられる石で、重さ53トンあります。これを湯舟用に造り、源泉を掛け流しています。

夕食は「白壁」名物の「わさび鍋」を中心にした会席料理です。食事の前に、宿の主人である社長が私たちの席に来てくださり、「白壁」の紹介・湯ヶ島温泉についての説明があり、日本酒を差し入れてくれました。「わさび鍋」には生わさびを擦って入れ、また温かいご飯に生わさびをのせ、ちょっぴり醤油を垂らした「わさびご飯」は絶品でした。お酒と美味しい料理に舌鼓を打ち、和やかに歓談しながらの、約2時間の楽しい会食となりました。食後はラウンジに移動し、コーヒーを飲みながら、和気藹々の温かい雰囲気で、話題も様々、結局夜10時まで歓談しました。

翌16日も晴天。朝食を済ませ10時に出発。湯ヶ島といえば「天城トンネル」「浄蓮の滝」が有名ですが、観光客は滅多に行かないわさび田の「筏場(いかだば)」に行きました。峠越えの道を女将が車で先導してくれました。「筏場」は約15ha、1500枚のわさび田が段々になった棚田として視界いっぱいに広がる風景です。ここで、井上靖原作の映画「わが母の記」のロケが行われました。

そして、昼食は修禅寺の「松葉茶屋」に行き、ざる蕎麦・きのこ蕎麦をいただき、会計は夫々が地域クーポンで支払いました。

最後に、駿河湾と富士山の絶景が見えるだるま山高原レストハウスに行きました。ここから見る駿河湾越しの富士山の眺望は、1939年のニューヨーク万博に日本政府が富士山の写真を出品する際、“日本一の眺望”として撮影地に選ばれた場所です。ここで集合写真を撮り、解散しました。~東京へ戻る朝倉・鷹觜車、土肥温泉に行く藤田車、「白壁」に連泊するため戻る吉田車。

3年ぶりの板橋稲門会の旅は一泊の温泉旅行でしたが、天気に恵まれ、ゆったりした行程で、無事に終わりました。

~写真は、「白壁」の夕食とラウンジ、「白壁」玄関前、「筏場」「だるま山高原レストハウス」

 吉田重雄